父、特別養護老人ホームへ
90歳になる父は、10年前に母が他界した時、自分も死にたいと毎晩酔って泣いていました。でも、丈夫な身体のお陰で、不具合を抱えつつも元気に過ごしています。
朝食と夕食は私が用意し、昼食は宅配弁当を昼の1時間だけ来るヘルパーさんに温めてもらう。部屋の掃除はヘルパーさんが四角いところを丸く簡単に掃除。洗濯と入浴は週に1回私が行います。
本人は午前中新聞を読み、パソコンで日記をつけ、ネットサーフィン、昼食後に昼寝をし、夕方からテレビを見る。夕食後は焼酎を飲みながらテレビを見る、という毎日。プロ野球と相撲が好きなので、楽しみは尽きません。
頭脳は明晰ですが、70代から腰は曲がり、80になる頃から杖や歩行器が必要になりました。
細々と続けていたライフワークも負担を感じるようになり、昨夏、一切辞める決断をしました。
転ぶことも増え、自力で起き上がれず、そのまま夜を明かしたこともありました。
身体が思うように動かないこと以外は不自由ないけれど、転んだ時に起こしてくれる人がいないのが不安です。真上に部屋がある孫は、在宅ならば叫べば来てくれるが、じき独立していなくなる。還暦を過ぎた娘(私)は力が弱い上、愛想がない。
ということで、施設を探し始め、ようやく念願の特別養護老人ホームに入ることになりました。
入所準備は結構たいへん
本人は入所日を待つだけですが、唯一の家族である私は準備が大変です。
- 契約。施設へ出向いて契約をしなくてはなりません。契約内容を聞いて、たくさんの書類に署名、捺印。
- 持ち物の準備。施設で必要なものを教えてもらいます。今までは2組あれば事足りた衣類も、5組必要というので、新たに購入。
- 記名。衣類は靴下から何から記名が必要で、タグのない靴下にはアイロンシールを付けます。子供が小さかった頃に戻ったようです。小学校入学の時は、おはじき一つ一つに名前シール貼ったっけ。親の持ち物にもこんなことしなきゃならないのか。私の時は誰がしてくれるのだろう。息子たちがしてくれるとは到底思えないのだが。
- 引っ越し業者手配。本人がテレビや机、パソコンを持って行きたいというので、引っ越し業者を探します。
出かける時間がないので、衣類は全てネットで買いました。高齢者向け衣料を扱うお店には、刺繍で名前を入れてくれるサービスがあって、需要があるんだな、有難いな、と利用させてもらいました。持ち物の記名は、入院時もしましたけどね。病院より老人ホームの方が、気持ちはまだ明るいです。
その他、新聞の契約(施設にもあるのですが、自室で読みたい)、消耗品(ティッシュやペーパータオル)の発注、お酒の手配(持ち込み可)など自作リストを見ながらこなします。
フルタイム勤務の私の貴重な時間、休日は全部つぶれます。今だけの辛抱、と自分に言い聞かせます。
入所後のこと
いよいよ明日が入所日です。本人を先に送り出し、引っ越し業者が到着するまでに家具の掃除、持ち物を詰め込みます。
引っ越しが終わったら、部屋の片づけが待ち構えています。まあ、後はゆっくり取り組みますか。大量のゴミが出ること必至。古い家具は粗大ゴミ処分をしなくては。大きい物、ひとりで運べるかしら。
リースの電動ベッドと車いすの返却、諸々の住所変更や解約手続きもあります。
今年の大型連休は、こんなことで終わりそうな予感。母が他界した時も、大型連休に大量のゴミを処分しました。
大型連休って親の遺品整理のためにあるんでしたっけ?
晴れて自由の身に!
シングルマザー状態になった時、私の両手両足には枷(かせ)が付いている、と思いました。小学生の子供2人に老親2人。生活費を稼ぐためのフルタイム勤務で、身動きのとれない日々でした。母が亡くなって1つ枷が取れましたが、父という枷が重さを増し、子供たちの枷が軽くなったかと思いきや、反抗期が激化したり、不登校が始まったり。自由は遥か彼方に見えました。
自由なんて訪れないんじゃないか、と思ったこともありました。
しかし今、子供たちは独立し、父は施設に入り、明日から私は晴れて自由の身です。
何をしよう?何を食べよう?どこへ行こう?
でも具体的なことは何一つ思い浮かびません。長い間、自分の欲求を抑え込んできてしまった弊害です。何かを欲すること忘れてしまったのかな。
これから少しずつ自分の欲求を呼び覚まそう。体力はないけれど、時間もお金も自分のために使える。自由を満喫したい。もう残された時間は少ないです。ちょっと焦ってしまいます。